光の太宰治

こんにちは。
world apart booksです。
本との新しい出会いを提供するため、
本を読まない人へ読書のたのしさを布教するため活動をしています。

本がたいへんすきなため、この活動を通して本屋さん、出版業界がもりあがったらいいな・・!
またこれから先の未来もすてきな作品がたくさん生まれますように、
という祈り(下心?)をこめて活動しているものです。

さて、みなさんは本を読むうえで読まず嫌いをしていることってないでしょうか?
例えば有名な作品のイメージに引っ張られて、読まずにいる作家なんていないでしょうか。

今回はそんななかでも負のイメージがどうしても強いであろう「太宰治」について書いてみたいとおもいます。
この記事が彼の放つ死の匂いだけでない、光を知るきっかけになればうれしいです。

太宰治のイメージ

「太宰治」ときいてみなさんはなにを思い浮かべますか?
おそらく教科書で触れる「走れメロス」
あとは「人間失格」、あとは玉川上水での心中のイメージ。
こんなところでしょうか。
とくに心中のイメージは色濃くあるかとおもいます。
「走れメロス」はちょっと嘘っぽいし、熱すぎてついていけない。
「人間失格」は引きずられるようなこわさがある。

そんな繊細な感性をもったあなたにこそ、知ってほしい「光の太宰治」があります。

光の太宰治?

太宰治が光??
そうおもった方も多いと思います。
どんな光なんだ?眩しく明るく照らしてくれるなんておもえないが・・
そうおもったあなたは鋭いです。

太宰治のもつ光とは・・

・無理に照らすのでなく、見えない場所にそっと灯るような小さな光
・肯定も否定もしない、ただあなたを、いまこの瞬間を肯定する光

ひとを導くための強い光ではないけれど、きれいごとを言わず
あなたの影と光にそっと寄り添ってくれるのが太宰の光です。
影と光の交差するやさしいところに立ち、どちらにいくあなたも見守ってくれるのが太宰治の光だとおもいます。

4つの短編から見る光の太宰治

ここでは個人的に光だと思う作品をあつめてみました。
どれも短めの作品なのでもしよかったらみてみてください。

①女生徒──瑞々しい光と淡く漂う諦念

ある少女が朝、布団のなかで目を覚まし、また眠りに就くまでの一日を描いた作品。ほんとうにそれだけなのですが、きらきらと瑞々しい視点で満ちています。
この作品の中にこんな一節があります。

私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、
しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。きっと、誰かが間違っている。わるいのは、あなただ。

太宰治「女生徒」

…いまある苦しみにたいしてここまで寄り添ってくれる言葉があるでしょうか。
奮い立たせるわけでもなく、かわいそうと憐れむわけでもなくただ横にすわっていてくれるだけみたいな言葉。
なかなかこんなやさしい光は描けないとおもいます。

②皮膚と心──ほかのだれにもわからない光

こちらはコンプレックスの強い新婚の夫婦の話。
奥さんの肌に湿疹が出て、広がり、回復する兆しが見えてくるまでの短いお話です。

世間からみて自分が成功しているか、いわゆる勝ち組か・・
現代ってそういう客観的な部分で自分の人生をはかりがちじゃありませんか?
でも自分の人生や幸せを他人と比べてはいけない。
まずは自分の感性を思い出し信じること、目の前にすでにあるものをきちんと見つめ愛すること。
大切なものは自分のそばに、自分のなかにある‥
忘れかけた、心のやわらかい部分をもう一度そっと照らしてくれるのが「皮膚と心」の光だとおもいます。

③千代女──自分の感性をみつめるための光

思いがけずすばらしい文章を書いた少女が、周囲の大人に翻弄される話。

この作品は、たとえば自分が褒められたときに「騙してしまった」と感じるようなひとに刺さるんじゃないかとおもいます。
誉め言葉をストレートに捉えられなくて、自分の醜さや駄目さを知っているから否定したくて…
でも自分を信じてもみたい。そんな繊細で臆病で誠実なあなたに。

大切なことを決めるとき、だれも答えなんて教えてくれない。
周囲は好き勝手言ってくるけれど自分で迷いながら進むしかない。
けれど迷ううちに、自分の意志で進むのかも、足場を失ってすすむしかなくなったのかもわからなくなってしまう。

決心が決まっても、自分のなかの火種がずっと燻っていて火が点いたのか。
他人に押し流されて進んだのかもうわからない。
どちらでもないかもしれない。
あるいはその両方かもしれない、
押し流されたことで火種が発火することだってきっとある。

道を示してくれるわけではないけれど、どうしようもなく迷う道のりで
いっしょに迷子になって足元をそっと照らしてくれるような光。

④桜桃──与えないけど奪わないという光

こちらは太宰治の実生活、育児と創作の両立の苦しさを書いた作品のようにおもいます。
いや、といっても結局、育児参加をしているわけではないのだけど・・
けれどこの時代の男性が、それも太宰ほどの作家が、家庭や子供の問題に当事者意識があるのはすごいことなのでは?とおもわずにいられません。
育児中、とくに真面目な性格の方には読んでほしい作品です。

「子供より親が大事」
作中、呪文のように繰り返しされる言葉。
子どものいないところで太宰は桜桃を不味い、不味いとたべる。
宝石のように美しい桜桃を与えたらきっと子供は喜ぶと知っている。でも、彼は与えない。

分かりにくいけれどこれも一種の愛なのだと感じます。
親がいなければ子供は生きていけないから。
自分のエネルギーは、自分をどうにか生かす分しかない。
愛を、ときどきは与えられたとしても継続して与えられる保証なんてない。
だから与えない。でもだからこそ苦しくて、だから桜桃は不味い。

ここまで極端ではなくとも自分を守るために子供から距離を置きたくなる瞬間ってきっとありますよね。真剣に向き合うからこそ、愛しているからこそ逃げ出したくなる。

すこし距離をとって自分を休ませる。
自分のエネルギーをきちんと自分に向ける。
それはそれで苦しいかもしれないけど、
まずはあなたが生きていなくちゃ。
そんなメッセージのようにもおもいます。

大きな喜びも与えなければ大きく落胆させることはない、ただ生きてさえいればいい…
どうしようもないけれど、あがくこともできない。
桜桃からは、そんなあきらめみたいな、祈りのようなぼんやりとした光をかんじます。

さいごに・・

じつはこの記事は来る6月19日の太宰治の命日である「桜桃忌」に向けて書こうと思ったのがきっかけです。
world apart booksのコンセプトとして、なるべくフラットに自分の主観を交えずに本を紹介し、手つかずの読書体験をしてほしい・・
というものがあるため特定の作家や作品についての言及は避けていたのですが、新たな試みとして「ある作家の先入観を取り去ってあらたな扉を開いてもらう」というのもはじめようかとおもっています。
その第一弾がこちらの記事でした。

もしこの記事が太宰治作品にふれるきっかけになればうれしいです。
どの作品も光と影が描かれているため、読む時々でかんじる光の具合や影の濃さが変わってくるところもまた、太宰作品の良さだとおもいます。
だってどこまでもあなたに「寄り添う文学」だから。
太宰と一緒ににあなたの今の光と影を見つめてみませんか?

2025年5月19日
すこし早いですが桜桃忌によせて。